サークルの彼方へ

ホワイトクラス 3 ~自分を生きる~

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さて。
今回のホワイトクラスのテーマは、”自分を生きること”についてです。

☆誰もが知らないうちに、他人を生きている

自分を生きる、という事は、非常に重要な事です。
なぜなら、誰しもが、他人を生きているからです。

もし自分を生きる、という言葉の持つ響きが、あなたに伝わる事があるのなら、あなたは、自分を取り巻く人々より、ずっと進歩してしまっていることでしょう。

自分を生きる、という言葉はよく使われる言葉ですので、さして目新しい表現ではありません。

しかし、その言葉に本当に影響を受ける人は、まずいないでしょう。
もしかすると、「そんなことはない」という人がいるかもしれません。
あるいは、そうかもしれません。

ただ、これは私が経験し、観察してきたことを話しています。
私の経験によれば、概念として理解している方は、もちろん沢山いらっしゃいますが、それを生きている方に出逢った事は、あまりありません。

誰もが自分を生きていると思っていますが、実際は、誰もが他人を生きているのです。
他人の考え、他人の基準、他人の方法…。
いつの間にか、自分ではなく他人が全てで、鍵は他人が持っていると信じ込むようになりました。

では、自分を生きる、という事は、どういうことでしょうか?

自分を生きろ、というメッセージを見たとき、
それは私の中の何かに火がついたのですが、その後、すぐに疑問が浮かびました。

「自分を生きろ、というのはわかるけど、その自分とは何なんだ?
その自分がわからなければ、どう自分を生きればいいのかも、わからないじゃないか?」

この疑問は、かなり私を悩ませました。
周りを見ても、答えがありそうには思えませんでした。
数学の本にも、国語の本にも答えは載っていませんでした。

案の定、悩みの根は、小さい頃からの私の疑問、つまり「私とは、一体何なんだ?」に行き着くのでした。

けれども、その時の私の段階において、適切な理解をもたらしてくれる出逢いに恵まれたのです。

☆バードマン・ラリー

中学~高校まで、私には、生き方において3つの柱がありました。
一つは、ブルーハーツというロックバンド。
もう一つは、永田達三さんという予備校の講師。
最後は、吉田聡さんという漫画家です。

3つとも分野が違っていましたが、私にとって、この3つに共通していたのは、自分を生きろ、というメッセージでした。

その中に、吉田聡さんが描いた『バードマン・ラリー』という短編の漫画があるのですが、それに寄稿していたのが、宮崎駿さんというアニメ映画の監督でした。

この漫画について興味のある方は、こちらをご覧ください。(新品は、もうないようですね。)

☆自分の言葉で語ろう

宮崎さんは、その寄稿の中で、正確な文章ではありませんが、こんな風におっしゃってました。

「習った言葉ではなく、自分の心を表す自分の言葉を見つけよう」
当時の私にとっては、非常に勇気付けられる文章でした。
それ以来私は、誰かの言葉ではなく、誰かの概念でもなく、自分の言葉で語っていくことを決意したのです。

このマンガを読み、自分を生きるには、まず自分の言葉で語らなければいけない、ということ。
自分の言葉とは、誰かが語った言葉や概念ではないこと。
言葉を借りてしゃべらないこと。
それが、当時の私が出した結論でした。

自分が何であるのかはわからないけど、盲目的に誰かの言葉を生きるのをやめることが、自分が何であるかを証明できるのです。

この事は、前回の相対性の理解とも同じ事なのです。
生きる目的は、外側ではなく、自分なのです。
興味の対象は、自分に向かなければいけません。

誰かの概念を借りず、自分の言葉で語ることは、つまり自分が何者かを意識的に決定していく作業に他なりません。

では、この作業が一体、何の役に立つのでしょうか?

さて、では自分の言葉で話すこと、誰かの概念を借りて生きるのではなく、自分の言葉で話し伝えようとしていくことは、一体、何の役に立つのでしょうか?

☆間違ったエゴの戦略

自分自身を知るという道が、どれほど危険かは既に述べたとおりです。
間違ったエゴが最も嫌う事は、消滅する事です。
間違ったエゴは消滅のプロセスを知り尽くしています。

間違ったエゴは、どうやったらこの道に入る人を騙せるかを知っていて、いとも簡単に、あなたを罠にはめることが出来るのです。

自分を生きる事は、その罠にはまり込まないようにするための有効な方法なのです。

自分を生きる事は、ある種、提示されているもの全てを拒否するようなものです。
誰かに、これをやれと言われたから、やるのではありません。
社会が、安全だというルートを拒否することも充分にありえます。
家族や友人、恋人が盲目的に信じている事を、絶対に信じません。
ニュースを見ても、額面通りに受け取りません。

つまり、周りが信じている事を、信じないのです。
自分が信じたい事を、信じるのです。
こういう生き方が根付き始めると、段々と皆が信じているものは、信じなく、皆が疑っているものを、より見つめるようになって行きます。
そして、私達全員が当たり前だと思っていることを、疑い始めます。
この生き方が根付くと、間違ったエゴの手中から抜け出せるようになるのです。

例えば、あなたが進み始める時、あらゆるものに出逢います。
沢山の魅力的な概念、沢山の魅力的な方法があなたの前に掲示されます。
そして、いつの間にか、あなたはそれらの虜になっているのです。
本来は、それらを使って自分自身を見出すはずが、逆に、手段が目的になってしまうのです。

けれども、自分の言葉で語ることや自分を生きることが根付いていれば、それらが本物なのか、偽りなのかを見抜ける目を持つことができるのです。
たとえどんなに魅力的な考えや方法であっても、その本当の姿を見抜くことができるのです。

ただ私自身の経験からいえば、これは相当に難しい事です。
言葉では簡単に聞こえるのですが、いざ自分がその立場になれば、
いとも簡単に騙されるのです。
それは、本当に本当に、巧妙なのです。

☆権威は外側ではなく、内側に

私自身、何度もうんざりすることを経験してきました。
決定的に騙された事もありました。

しかしながら、私は騙されている事に気付く事が出来たのです。
私は、誰の言葉にも耳を貸しませんでした。
傲慢に聞こえるかもしれませんが、もしそうしなかったのなら、今でも私はさ迷い続けていたに違いありません。

その時気付いたことは、見抜くことが出来たのは、自分を生きようとする習慣、自分の言葉で語る習慣がついていたからだとわかったのです。
権威を外側ではなく、内側に持っていたからです。

さて、ここでは、間違ったエゴがどのようにあなたを罠にはめるのか、また、自分を生きることがどういう助けになるのかをご説明しました。

次回は、間違ったエゴの罠、つまりは誘惑についてもう少し例をあげてみましょう。

では、エゴがどのようにあなたを誘惑してくるのか?
エゴがどのように自分自身が生き続けるために、
あなたを罠にはめるのかを具体的な例を見てみましょう。

☆新しい概念

私自身の例をとれば、一時期、私は新しい種類の概念に見事にはまり込みました。
新しい種類の単語や新しい方法論などが綺麗に並べてあったのです。

私はそれを見て、「これはすごい!」「これはやるに値する事だ!」と猛烈にのめりこみ始めてしまったのです。

今までのやり方は古臭く、どうしたら新しい方法で現実を創造できるのか?についてのレクチャーがそこで行われていました。
そこでは、「あなたは価値があり、あなたがそれをやるのです!」と力説していたのです。

私達は、一般社会が提供できる以上のものがあることを受け入れることが出来た時、エネルギーに非常にウブになります。
天使やアトランティスやレムリア、UFO、神仏、次元、地球を支援してくれている存在…。

このようなものに、うっとりしてしまうのです。
これらを探求し始めたら、きりがありません。
それは、宇宙を探検するのと同じように、ずっとずっと探求しなければいけなくなるのです。
なぜなら、それはどこまでいっても外側のものだからです。

ただ、このような探求自体は、とても楽しいものです。
一般社会は、これらのものを受け容れられないので、腫れ物にでも触るかのような扱いを受けますが、探求自体は非常にやりがいがあり、充実したものになるでしょう。

けれども、本当の答えは、このようなものにはないのです。
一つ発見したら、また次が待っています。
ずっとずっと、これが続いていきます。

もしそれが楽しくて、それでもいいのでしたら、それはそれで一向に構いません。
何も間違っている事ではありません。
ある人にとっては、そこを通らなければいけないプロセスになっているからです。

しかし、なぜそれらを探求したくなるのでしょうか?
そこが問われなければいけません。

☆成長、変化という魅力

私自身の経験と多くの人を観てわかったことは、大抵の場合、自分自身の何かを上げたいからなのです。
自分自身が何かになるため、自分自身がそれを行うことによって変化できることを期待しているのです。

「これを知れば、私はもっと素晴らしくなれる。世界は変わる」
「これを行えば、私はもっと成長でき、理想的な状態に達する事ができる。
他人には恥ずかしくて言えないけど、マスターになれるかもしれない」

こんな風に、大抵の人は、自分自身がよりよい何かに変身出来ることを願っています。

何度も繰り返しますが、それはそれで結構なことです。
しかし重要な事は、あなたは何にもなる必要がない、ということなのです。
なぜなら、既にそうなっているのですから。

このことが単なる概念ではなく、直接体験によって知ることに到った人は、もう何も追いかけ求めません。
それは単なるゲームでしかない事がわかるからです。

ポイントは、単なるゲームでしかない。
というこれまた単なる公式で理解することではありません。
本当に、直接的に理解するほかないのです。

私自身、自分がなんてバカだったんだとびっくりしました。
なんて無駄な時間とエネルギーをそこに費やしていたのか?
なんて愚かだったんだ!!と本当にびっくりしたのです。

それ以来、そこで教えている様々な概念が単なる概念であることを”見た”のです。
それは、なんてことはありませんでした。本当に。
その時に、「こういう風にして、私達は餌になるんだ」ということを”見た”のです。

けれども、これはこれでいいのです。
私にはこういう脚本が書いてあり、それはその通りに進んでいたのですから。

こういう理解に達するまで、間違ったエゴはあなたを離しません。
あなたが何に興味があるのか?あなたのウィークポイントが何であるのかを知り尽くしているので、それを使って、あなたと遊び続けるでしょう。

☆バーナデット・ロバーツの例

バーナデット・ロバーツさんという方がいらっしゃるのですが、彼女は自分が書いた本の中で、正確な記憶ではありませんが、こんな風に言っているのです。

「疲れを知らない精神力、ヒーリングの可能性、浮揚現象、幽体離脱、予知、心を読める能力…。こういうエネルギーが私の前に現れました」

これらは、確かに素晴らしい可能性と性質をもっていますが、同時に非常に危険な香りを持っています。
なぜ危険なのかと言えば、これらの体験が往々にして、単に間違ったエゴによる隠れた優越感に繋がってしまうからです。
隠れようが隠れまいが、優越感はそのまま分離の幻想を強化しまうのです。
こうなってしまえば、これらの体験は、毒にしかなりません。

彼女の場合、このような体験をしても、それらを拒否したのです!!
「いらない」「欲しくない」

進歩した方は、こういう風にして、間違ったエゴの誘惑を乗り切っていくのです。

探求すればするほど、私達はこのような現象や概念に出逢います。
そして、落とし穴に落っこちるのです。

この事例以外にも、沢山の例があります。
罠にかからなかった方、見事にかかった方。
皆さんも、自分自身の経験を洗い出してみてください。
そして、外側を観察し、そういう事例がどこに転がっているのかを調査してみてください。

そして、絶対に言わなければいけないのは、もしあなたがこの文を読んで、「私は、ひっかからない」と思っても、たぶんダメでしょう。
ひっかかります。自分がひっかかったことすら、気付かないのです。
あなたが、充分成熟して初めて、罠にかかっていることに気付くのです。

いいでしょうか?
付け加えて言うならば、罠という単語を事あるごとに使っていますが、
私の経験したことでいえば、罠としか感じられませんでした。
そして、罠にはめる間違ったエゴは悪者のように思えますが、違うのです。

間違ったエゴを悪者扱いしてもしょうがないのです。
それをしているあなたが間違ったエゴなのですから。
いいでしょうか?これを忘れないで下さい。

忘れなければ、充分です。
忘れない事で、仕事は効率的に進んでいくかもしれません。

今回は、自分を生きることがテーマでした。
自分を生きることとは、どういうことなのか?
それが何かの役に立つのか?
ということについて、ご説明いたしました。

ただし、今回の3-3では、ホワイトクラス、というよりクリアクラスの内容になってしまいました。
これについては、クリアクラスでもっと調べてみましょう。

以上で終わります。

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