ホワイトクラスの段階に入る際、精霊からの訪問を受けることになるでしょう。
今まで沢山の人と出会い、観察してきましたが、どうやら人間の進歩の段階において、ある一定の段階までは、この精霊の訪問は起こらないようです。
それらの段階において、人は、自分が思っている自分に忙しく、まさしく夢を見ながら、一生を生きていくのです。
自分のやりたい事、欲望、野望…
なんでもいいのですが、これらに巻き込まれ、ただただその演じている自分に
気付かず、一生を終えます。
目次
☆用意が整った時、不意にそれはやってくる
彼らは、意識しています。けれども、気付き、つまり精霊に触れられる事はありません。
万一、精霊の訪問があっても、彼らは素通りしてしまうでしょう。
なぜなら、飛躍の用意が出来ていないからです。
繰り返しますが、これらの段階が間違っているわけではありません。
間違っているなら、存在すら出来ないからです。
それは、全く問題ではありません。
ただ問題は、誰もが進歩の歩みを止める事ができない、ということなのです。
つまり、誰もがその段階に留まっている事を許されないのです。
そういうわけで、ずっと夢を見続ける事はできず、いつかは事実に目を覚まさなければいけないときがやって来るのです。
さて、その存在が眠りの段階にいながらも、本当に飛躍の用意が整った時、不意に精霊は訪れるのです。
☆ジャングルジムの下で
私の場合は、こんな風に起こったのです。それは、幼稚園の年少クラスの時でした。
私は、幼稚園の園内にあるジャングルジムで友達たちと遊んでいたのです。
そして、ジャングルジムの中で、それは起こったのです。
一番下まで降りてきて、また上に上がろうとして、上を見上げた時、太陽とは違う輝きがそこにあったのです。
それは、非常にまぶしいのに、それでも目を瞑る必要がなく、ただただキラキラと輝いていたのです。
その光り輝く中で、
「僕は、一体どこからやってきたのだろう?
この名前で呼ばれている僕とは、一体誰なんだろう?」
という疑問が”やってきた”のです。
☆非情さに貫かれる
その疑問がやってきたのと同時ぐらいに、友達の一人がジャングルジムの上から、落っこちてしまいました。彼は、私のすぐ横で血を流して、泣きわめいていたのですが、私は彼を一瞥しただけでした。
ほぼ無関心といってもいいくらいの態度をとっていたのです。
なぜなら、光り輝く中でやってきたその疑問があまりに強烈過ぎたため、私はほぼ身動きすらとれませんし、周りの出来事に究極的なまでに、非情な感覚に支配されていたのです。
周りの友達たちは、大騒ぎです。
「早く先生を呼んでこなくちゃ!」と室内に走っていく子供もいれば、血を流して泣いている彼に、寄り添ってあげている子もいました。
私も助けるよう呼びかけられていたのですが、全く何も出来ませんでした。
びっくりするほどの無関心さと非情さが私を貫き、私の関心全ては、まぶしいくらいの太陽とともにやってきた輝きの中にありました。
☆差し控える
この強烈な一撃を体験した夜、私は両親にこのことを訊いてみようかと思い悩みました。きっと両親なら、そんなこと当たり前のように知っているに違いない。と思ったのですが、私がどこから来たのか?という質問は、生みの親である両親を否定する事もわかっていました。
ですので、こんな事を訊いていいのかどうか、非常に悩んだのです。
悩んだ挙句、私は質問しない事にしました。
けれども、数日が経って、またあの輝きがやってきたのです。
☆両親とは、一体何?
幼稚園が終わり、母親が迎えに来てくれ、いつも通り、私は自転車の後ろに乗せられて帰っている途中でした。その日も、非常に天気がよく晴れ渡っていました。
母の後ろに乗って、背中につかまりながら、ふと空を見上げた時、あの輝きと共に、「僕は、一体誰なんだ?」という疑問がまたやってきたのです。
その時、直感的に、
「私は母親の背中越しから見えるあの空の向こうからやってきた者だ」、
ということがわかったのです。
その答えに、私は激しく動揺しました。
そんなことはありえないのです。
では、両親とは一体、何になるのでしょうか?
それ以来、私は「自分が誰なのか?」
という本当の答えを探しながら生きていくことになったのです。
☆誰にもわからない
いいでしょうか?これが精霊がどのようにやって来るか?という具体的な例の一つです。
ここで挙げた例は、あくまで私自身に起こった一例にすぎません。
精霊がどのようにやってくるか、どのような形でやって来るかは、決まっていないですし、それは誰にもわからないのです。
それは、まさしく人それぞれで、その人の脚本に何が書いてあるかによるのです。
経験して言えるのは、それが妖精や天使のような形をとってやってくるとは、限りません。むしろ、人間の信念体系を考慮に入れれば、そういう形でやって来ないほうがいいのです。
☆魅力的だが、遠回りな経験
なぜなら、もしそのような形をとってやってくるのであれば、自分以上に何か凄い存在がいる、という経験にはまってしまうからです。これでは、何にもなりません。
これは、分離の体験そのもので、分離をより一層促してしまうからです。
それは、進歩よりもむしろ退歩の経験に繋がる可能性が非常に高いはずです。
自分以上の何か信じられない存在を目の当たりにすれば、確かに彼らは謙虚にはなるでしょう。
より一層学ぶ事があると気付き、誠実に進んでいくかもしれません。
けれども、常にあのすごい存在が記憶の中に立ちはだかり、それよりも低い自分をいつも意識し続けなければいけなくなるのです。
それは、本末転倒なことです。
彼ら偉大な存在は、あなたが神で、あなたこそがマスターだ。
と語りかけてくれますが、全く効果がないでしょう。
なぜなら、既に自分以上にすごい存在を受け入れてしまっているからです。
私は、こういうパターンをうんざりするぐらい見てきました。
ですので、もし妖精や天使が現れてしまったら、自分自身が随分と
難しい道にいると知ってください。
☆退路を断たれる
また精霊という言葉のイメージは何だかロマンチックな響きがありますが、実際は、非情極まりないものです。なぜなら、ひとたびそれが起こってしまったのなら、それまでの自分が大事にしていたものを完全に失うことを意味するからです。
二度と元の場所に引き返す事は出来ません。
もし元の世界に引き返したとしても、なんと刺激のないつまらない世界だと感じるのです!!
たとえそれが、昨日まで生きていた世界だとしても。
その世界には、もう何も希望を見出すことが出来ない事をあなたは悟ります。
そうして、あなたはその世界を置き去りにして、進むべき道を歩みだすのです。
☆止まる事が、”起こる”
ある存在が飛躍的な進歩を遂げる場合、私が知る限りでは、”止まる”というのが、共通して起こることです。言ってみれば、精霊の訪問とは、突然、自動的に立ち止まることなのです。
今まで、がむしゃらに走っていきていたかもしれません。
今まで、無我夢中で生きてきたかもしれません。
今まで、何となく生きてきたかもしれません。
ともかく、彼らは生きてきたのですが、なぜかある日、突然に止まるのです。
自分が歩みを止めようと思って、止めるのではありません。
☆個人という眠りから目覚める最初の段階
ある日、ある時、状況の因果関係に全く関係なく、突然勝手に、足が止まるのです。そこで初めて、本当の疑問が生まれるのです。
そこで初めて、本当の理解が現れるのです。
それまでは、本当にただただ生きているという幻想の中で眠りながら生きているのです。
それまでは、本当にただただ自分だと思っている自分、個人、エゴそのものとして生きているだけなのです。
けれど、精霊がやって来て、止まることが起こってしまえば、あなたは、自分の人生、個人という幻想から目を覚まし、本当の姿を垣間見る事になるのです。
☆どうしようもないほど本物であるがために
ただ精霊がやってきただけでは、止まっただけでは、何重ものすりガラス越しに向こうの景色を見ただけに過ぎません。
けれども、今までとは全く違った景色、そしてどうしようもないほど、本物で実在で、還るべき場所だとすぐに、誰の説明を受けないでも、わかるのです。
誰に説明を受けなくても、本を読まなくても、予習しなくても、すぐにわかるのです。
これこそが、実在の、つまりあなたの本性です。
なぜなら、条件がいらないから。
間接的なもの、介入の必要もなく、直接わかるのです。
☆世界が色褪せていく
ホワイトクラスの段階では、必ずこれが起こります。そして、これが起こるようにあなたが出来る事は、何もありません。
それは意図や選択によって、出来るような何かではないのです。
ひとたびあなたにそれが起これば、あなたはそれに恋焦がれることになるでしょう。
その輝きは、家族より親密で暖かく、恋人より魅力的で、どんな達成よりも素朴でしかも簡単でしかしながら、遥か遠くに感じられるのです。
それが何より自分で、間違いがなく、相違も感じられないからです。
そこに全てがあることを瞬時に理解するのです。
この経験を通り抜ければ、日常の世界、見ている世界に真実がないことに気付くのです。
ここには、答えがないのです。
そこにしかないことが、誰に訊かなくてもわかるのです。
☆世界に別れを告げる
ですので、必然的にあなたは、この世界、つまり自分が住んでいて当たり前だと思っていた世界に別れを告げなければいけないことに気がつきます。
それがまず起こることであり、ホワイトクラスの段階に入っていく事になるのです。
これが精霊の訪問であり、それが意味する所であります。
そして、私が経験して言えるのは、精霊の訪問は、一度だけではなく、進歩の度合いに応じて、何度もやってくるものだということです。
これについては、ゴールドクラスやクリアクラスでも、また取り上げる事になるでしょう。
以上で、ホワイトクラスの第6回目を終わります。